若者が考える終活とは

05.自分の死後、残ったモノをどうするか

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若者が考える終活シリーズはここで最終回です。

ラストは、自分の死後、残ったものをどうするか?というテーマで考えていきたいと思います。

自分が死んだら全部ゴミ

あぁ、刺激的な言葉!!(笑)
辰巳渚さんの「捨てる!」技術という本の中で出会った言葉です。

自分が死んだら、今持っているモノは全てゴミなのだ。

大量のゴミを残された家族はそれを処分するために3ケタ万円のお金を出費するかもしれないし、処分するという行動を起こせずに途方に暮れるかもしれない。

自分がこの世に残していったモノを処分して家を空っぽにしなければ、家を出ることも、家を売ることも、家を壊すこともできない。残された家族は次の段階に進むことができないのだ。

自分にとって必要なモノ、大切なモノであっても家族にとって必要なモノ、大切なモノとは限らない。
その逆で、自分にとってはイマイチなモノが家族にとっては欲しいモノにだったりするのだ。

生きているうちに親族フリマを

個人的にオススメなのは、お盆休みや正月休みなど親族が集まる時に「親族フリマ」を開いてしまうことだ。

自分の持ち物で今後使うことのないモノを欲しい人にゆずってしまおうというわけだ。

ここで気を付けて欲しいのは「似合うわよ~」とか「高かったのよ~」などと言って強制的に持って帰らせないようにすることだ。もらった人の下で箪笥の肥やしになってしまっては意味がない。

親族フリマでモノをゆずる基準はあくまでも「使うのであればゆずるよ」というスタンスを忘れないで欲しい。

モノが少ない暮らしも悪くない

年齢を重ねれば、記憶力は低下し、やる気は低下し、体力も低下する。
老いないように予防をしていても、ゆっくりと、ゆるやかに今まで当たり前に出来ていたことが出来なくなる日がくる。

その日の為にモノの量を増やしすぎないようにして暮らすのは何歳から始めても早いなんてことはない。

まとめて後でやろう。

モノはまとまればまとまる程、私たちの体力と気力を奪ってゆく。
そうなれば「もう、どうでもいいや」という気持ちが出てきて、行き着く先はごみ屋敷となる。

家の中に沢山モノがあっても、よく使うモノは一部だったりするのだ。モノを減らすように心がけていると「モノが少ない暮らしも悪くないかもしれない」という気持ちがだんだん湧いてくる。

自分がモノを減らしたくないと思うそのココロの奥にはどんな気持ちが隠れているのだろう。

いつか使えるかも。モノを買えるのは贅沢だ。モノが沢山あると幸せだ。モノが買えなくて悔しい思いをした。モノが少なくて苦労をした。

自分のココロの奥底にあるモノに対する気持ちと向き合うことで、自分とモノとの関係をひも解いていってほしい。そこには必ず発見があるはずだ。

終活は生きている今だからこそ出来る、自分史づくりでもある。

今をイキイキ生きるために、自分のために、モノの整理を始めていって欲しいと感じている。

 

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