ヒトモノラボBLOG

孤立する暮らしと循環する暮らし

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こんにちは、ヒトモノラボの石渡知里です。

昨晩Eテレの「SWITCHインタビュー達人達」という番組を見ました。2人のプロフェッショナルがお互いにインタビューをし合う番組です。

今回は建築家の伊東豊雄さんと写真家の小松義夫さんの回でした。番組は途中から見たのですが、長く人の暮らしに携わってきたお二人だからこそ出てくる話が沢山ありました。

その中で気になったのが区別する暮らしと循環する暮らしという話です。今の自分はどっちだろうとぼんやり考えながらテレビを見ていました。

区別される暮らし

イマドキのマンションは区別され、ひとりひとりの部屋があって、部屋に名前がついていて何をするかまで決まっているという話がありました。

とても個を尊重しているようにみえるのですが何だか寂しい印象がありました。何だろうこの気持ち。日本だと一軒家であっても隣の家との境に塀で区切ったりすることが多いですよね。(隣が近いから?)

高校生の時に訪問したオーストラリアは庭はあったけど塀は無かった印象です。なんかこう、広々としていました。そしてやたら時間にルーズ(笑)とても流動的でした。

区別することが必要だった。必要になってきた。今の日本はそういう印象な気がしています。しかし区別すればするほど、自分の身は守れるかもしれないが周りとの付き合いは希薄になるそんなイメージ。なんか複雑。

循環する暮らし

番組では区別されていく日本のマンションとは対照的な壁のない家の話が出てきました。自然の循環の一部として暮らしが馴染んでいたそうです。それは時間で区切りながら仕事をする自分の生活とも対照的だなと感じました。

自然な流れの中で流動的に暮らすには「やらねばならない」というようなタスクリストを捨てる必要がありそうだなと感じました。

おだやかで、ながれるように、ゆるりと暮らす。

えっ、そんな暮らし出来るかなぁ?

地域の循環と孤立

この番組を見終わって、身近な地域という存在の事を忘れていた自分を思い出しました。

高校までは横須賀市内に通学していたが、大学以降は市外に行くことが多くなりました。横須賀市内にある家は寝るために帰るようなものでした。そういう生活をしているとご近所づきあいも無ければ、地域のイベントに参加することもない。

地域に存在はするものの地域から遠ざかる。そんな自分に気付いたのは横須賀で講座を開こうと思った時でした。知らないうちに私は地域から孤立していました。

コミュニティの中に存在しているだけでは孤立する。自分からコミュニティの中になじむように行動していかないとコミュニティーの一員にはなれないらしいということを感じた。

家という建物と世界の人々の暮らしの話を聞きながらそんなことを感じた夜でした。

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